おひさまのかたち

日々つれづれ。剣道・読み語りなど

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#文アル読書12『春の鳥』

 以前からリクエストは出してあったのですけれど、まさかこの時期に通るとは思っていませんでした。
#文アル読書12 国木田独歩『春の鳥』
嬉しいかな、嬉し哉。

 『春の鳥』は私の初独歩で、これで独歩さんが好きになったのでした。
主人公の元教師は下宿先の白痴少年・六蔵と出会い、
少しでも社会人と共生できるようにと教育を試みる、
といった粗筋です。

 うちの道場は先生が何でも引き受けてくるもんだから、
私は専門知識を持たないですが
自閉症の子とか多動性の子とか、
なんて言うんだか知らないが突然大声を上げたくなっちゃう性格の子とか、
新人さんで入ってくるとみんな一緒に面倒を見ます。
教育とか指導ってどこまで必要なの?って、
一般に普通、と言われている子どもと対している時でさえいつもそう思う。

現代人が車を使うようになって、江戸時代の人たちのように早く長く歩かなくなったように、
六蔵よりも数が正確に数えられたり、鳥の名前を多く覚えられたりすることによって、
かえって数字では読めない世界が理解できなくなったり、鳥の思考が聞こえなくなったのは
私たちの方なのではないかと思う。

今、『独歩病床録』を読んでいるのだけれども、
幾種類もの薬を飲んで、社会から隔離されて生き長らえている、
その事が人間にとって本当に「自然」な状態なのかどうか、
独歩が悩んでいる下りがある。

余計な事(教育)を入れることによって、子ども/人間の可能性を奪ってやしまいか、
本当にそれは「自然」なことだろうかと自問するのだ。

ルソーの言う「自然状態」は人間社会、「文化」がある上での「自然」なのだが、
天野貞祐が
「文化という語は耕作(culture)という語源を持ち、自然に対する言葉で、
原自然に人工が加わり人間の知識技術によって開拓され育成されたものが文化である。」
(『真実を求めて』雲井書店1950)と言っていたのを思い出す。

私たちは、文化を大事にし過ぎる余り、一羽のカラスが同じ空に生きていることをつい忘れる。
自然の子・六蔵はそれを繋ぎ止める為に来て、
『春の鳥』の「私」はそれを受け取ろうと尽力した人の絵に見えるのだ。

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