おひさまのかたち

日々つれづれ。剣道・読み語りなど

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七味を買う

 七味を買いました。
ゆずが入っている奴。
香りが凄くいい。

 今の我が家の家計を考えると、
一袋600円もする七味はとても贅沢だ。
スーパーで買えば普通の七味は88円で買える。

 親戚が息子の退院祝いをしてくれるんで出かけた先で、
屋台の、若い頃はスポーツマンだった風のおじさんが調合してくれた。
色とりどりの粉末を取り合わせ、
ボウルに入れて攪拌して、私たちの鼻の前に出して
「こんな香りになります、よろしいですか?」
と詰める前にその香りを目の前にふわっと泳がせてくれた。
元より、「そんなのじゃ困ります、もっとこうして」
なんて注文をつけたりするような気は全くないのだけれど、
その行動一つで私たちは満足して600円を払って
ゆず入りの七味を受け取った。


 この所明治文学(主に独歩さん祭)読んでいてとみに思うのは、
明治の頃と現在は社会が非常によく似ていることだ。
『窮死』とか『号外』とか、今っぽくてぎょっとする。
10年前に出たこの本

で、高橋源一郎さんが石川啄木が明治43年に書いた『時代閉塞の現状』という評論と
2007年に書かれた赤木智弘の『若者を見殺しにする国――私を戦争に向かわせるものは何か』
との酷似を指摘していて、なんだか頷いてしまった。

 啄木曰く
「時代閉塞の現状は唯にそれらここの問題に止まらないのである。
今日我々の父兄は、大体において一般学生の気風が着実になったと喜んでいる。
しかもその着実とは単に今日の学生のすべてがその在学時代から奉職口の心配を
しなければならなくなったということではないか。
~しかも彼らはまだまだ幸福な方である。
~その教育を受ける権利を中途半端で奪われてしまうではないか。
中途半端の教育はその人の一生を中途半端にする。
~かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出する為に、
ついにその『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。~」

 アーレントの言っていた「全体主義」の発生原理そのものだ。
ここで見誤ってはならないのは、「敵」は
貧乏人でも、
政治家でも、
マスコミでも、
重度障害者でも、
政治難民でも、
移民でも、
特定の民族でも、
ある宗教信望者でも、
ニートでも、
住所を持たない人でも、
爆弾を打ち込んでくる人でもない。
むしろ、そうした人たちを「敵だ」と決め付けて攻撃してかかる人たちのことだ。

 七味屋さんが、日にどれだけ稼いでいるのか知らない。
あの一坪ほどの店先で、毎日お客が行列する訳でもないだろう。
でもそれ以降、我が家はうどんを食べるのがちょっと楽しみになった。
これがなくなったら、またいつかあそこへ行ったら、
今度は違う調合の七味を買ってもいいね、
なんて話をする度に、ちょっと楽しい気分になるのだ。

 「敵」と戦う一番い方法は、「敵」を作らないことだ。
「敵」を回避するのは、自分の中に恐怖や、おびえや、疑いや、惑いを作らないことだ。
それには、きちんと誰かを、何かを褒めること、
誰かが幸せになることを見据えて、自分の仕事をすることだ。

…それで生活できる程度に稼ぐ仕事に就ければ、いいね。

| 近況。 | 18:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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